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16th / 19th January 2003
Eyes Wide Shut & Traumnovelle

キューブリックのアイズ・ワイド・シャット(Eyes Wide Shut)がFrance 3で放映されたのを見る。公開時のメディアでのかまびすしい雑音に閉口して見そびれ、有名なスチール写真以外には、筋書も、シュニッツラーのTraumnovelleが原作であることさえも知らなかった。今回はじめて見てTV画面でもなかなか楽しめた(13歳未満の子供は見ないほうがいいという但し書きで放映されていたが、13歳以上ならいいのか?)。映画の余韻があるうち、原作も読んだのだが、おどろいたのは、展開や多くのディテールがほとんどいっしょだということだ(最大の違いは映画でのZieglerの存在、そしてAdlerの不在)。ネットで批評などを少し調べる。

この映画で、「O嬢の物語」を連想する人は多い。もちろん館での仮面をつけた饗宴の場のためだ。が、むしろ私はJ.ポーランの序文が思い浮かんだ:

「ここで、男の欲望の中にある、まさしく奇妙で、弁護しかねるものについて考えてみなければならない。風が中を吹き抜け、突然動くかと思うと、ため息をもらし、マンドリンのような音を奏でるたぐいの石を見つけたとしよう。人々は遠くからでもそれを見にやっていくる。しかし、すぐに人は逃げ出したくなる。音楽がいくら好きであろうとも。」

これについての続きは長いので、→ こちらで別テキストとして独立。

筋書きの理詰めの解釈とは別に、原作の醸し出す雰囲気を映画が映画的手段で出すことに成功しているかどうかについても、見る人によって意見が大きく別れているようだ。世紀末の色を濃くどどめるウィーンの退廃的雰囲気に強くこだわる人は、現代ニューヨークとトム・クルーズにすでにぶちこわしのすべての元凶を見ているようだ。私は現代の都市のドライさをうまくつかいながら原作に比類する世界を作りあげているという意見に組する。ネットで読んだいくつかの評の中で、「ほとんどこの世のものでないほど美しい照明光から...椅子の上を擦る毛皮や、大理石にキュっとこすれる革手袋などの雰囲気を醸し出す音にいたるまで」綿密に仕上げられている細部の見事さを指摘する文章に我が意を得たりと思った(Hanns-Georg Rodek、"Du sollst von Sex nicht träumen", in Die Welt, 09.Sep.1999)。醒めた感覚を維持しながら感覚の美に思い切り浸るという矛盾した欲求をおいしく満たしてくれる数少ない映画の一つだ。


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