Histoire d'O selon Oraclutie

P.レアージュ「恋する娘」

1968年春から夏にかけて、ドミニク・オリーは死期の近いジャン・ポーランに、病室で寝泊まりしながら昼夜付き添っていた。その時間に書かれたテキストが「恋する娘」で、そこでオリーは、ポーランとの関係でどのように『O嬢の物語』が書かれたかを−−ポリーヌ・レアージュとして自分たちの匿名性を維持しながら−−語っている。そして、このテキストが、翌69年に『ロワッシーへの帰還』(54年の『O嬢の物語』出版の際に削除された終章)が出版されるとき、序文として添えられることになる。

その邦訳は、残念ながら現在絶版になっている二見書房版『オー嬢の物語・続オー嬢の物語』で読めるだけである。『O嬢の物語』の成立を語るときには、この内容を、後から明らかになった事実と突き合わせながら検討していくことが重要であり、このサイトでの私たちの大きな課題の一つであるが、まだしばらくの間本格的にまとめられそうもないので、ここではとりあえず別の機会に書いた手元のテキストを元にしながらさみだれ式にアップしていく (by Autel, 2003年4月5日、記)。


- 「恋する娘」冒頭部訳文、 「恋する娘がある日彼女の愛する男に向かって言った...」。2002年4月にAutelがR***に贈った訳文を改訂増補。原文に著作権がある以上、全文訳をここに載せるわけにはいかないので、冒頭部のみだが、掲載する部分に関しては省略なしの訳。どのような状況でどのように執筆が始まったかが語られている最初のパラグラフ。訳文での段落分けAutelによる。

- 「恋する娘」冒頭部訳文続き。「春は終わろうとしていた...」。原文第2パラグラフ。またこの部分について、2002年にAutelからR***へ向けた個人サイトにアップした文章−−原文の一部のパラフレーズ−−を併せて再録。


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