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小西茂也訳
ブラントーム『ダーム・ギャラント(艶婦伝)』より

※ ... これもやんごとない極みのお方(カトリーヌ女王)だが、嫁せられて未亡人となり、大変にお美しかつたが、また極めて好きものでもあらせられたので、持前の並の淫欲だけではご満足が参らず、それを更に刺戟し挑発なさらうとして、時折侍女や女官のうちでも、最も眉目うるはしいのを選んで裸にし、惚々眺め楽しんでから、平手でお臀をピシャリと強く叩かれておつたといふ。また何か落度のあつた侍女は、逞しい鞭でやはり居敷のあたりを御自らご折檻なされ、鞭打される度毎に相手が妙に猥らな格好で、身体や臀をくねらせたり、もぞもぞ動かしたりするのを御覧じ遊ばされて、ひとしほ御満悦を覚えられてゐたさうである。
Brantôme Episodes Flagellation
また時とすると裸にはせずただ裾をまくらせ、(当時は女人衆は下袴(カルソン)をつけてをられなかつたからだ。)相手の咎目の軽重に応じて、平手でなり鞭でなり、そのお臀の上を叩いて、笑はせたり泣かせたりし、さうした光景や眺めで、おのが欲情をいざ充分に研ぎ尖らせてから、屈強堅剛な色男を招いて、たつぷりとその方の欲望を満たし鎮られるのを常とせられたといふ。
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その上にまたこんな話も聞いてゐる。彼女はお付きの侍女や腰元に対してばかりでなく、はるばる拝謁に参つた外国の女子まで、ものの二三日して、或ひは来るなりすぐに、この種の遊戯になじませ親しませ、先づその侍女を先達として糸道をつけさせてのち、それに倣はせるといつた具合にいたしたので、外国女たちもこの種の遊戯に、喫驚するのもあれば、いささかも喫驚しないのもあつたそうだが、何ともは娯しい教導ではないだろうか。

※ やはり貴人だが、その御内室を裸かのままか着たなりで鞭打ちを加え、五体をくねらすそのさまを御覧じ遊ばされて、快としてをられたといふ話を聞いたことがある。

※ さる上臈から伺つたことだが、その娘だつた頃、毎日きまつて母親から、二度づつ鞭打を蒙ったが、それは別にこれといふ落度があつてのことではなく、彼女が尻や身体を動かすのを見て、母者人は快感を覚え、その嗜欲を充分掻立てて、別種の愉悦を計らうとの算段からであつたらうと、娘心にも考へついたといふことである。そして彼女が十四の歳に近づくに伴ひ、ますます母のかうした仕打は烈しく執拗になつて、さまざまな虐待や折檻を加へるにつれ母親の眼は皿のようになって愈々妖しく輝いて行つたさうである。

※ もつとひどい話を聞いたことがある。八十年以上も前のさる大殿様だが、奥方と同衾しに赴かれる前に、おのれを鞭打たせてをられたが、こんな莫迦げた荒療法でも用ひぬことには、そのうなだれたものを感服も台頭もさせられぬというのだが、どうしてこんなことが起こるのか、一つその訳を名医にでも尋ねてみたいと思ふ。

碩学ピコ・デルラ・ミランドラは、同時代のさる色男で、懲罰用の革紐で強く打たれれば打たれるほど、女人に対する欲情が熾烈になり、かく鞭打たれて始めて旺盛雄勃として、猛威を発揮するにいたるといふ男の話を記してゐるが、全く驚きいつたお人もあればあつたものだ。人が鞭打ちされるのを見る方が、自分がされるのよりはるかに快適と拙者などは思ふが、果たしてどんなものか知らん。


ブラントーム『ダーム・ギャラント = 艶婦伝=』、小西茂也訳(河出書房、1950年)、上巻、第二講、pp. 319 - 322.(漢字は新字体に改めた)



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