Histoire d'O selon Oraclutie

『O嬢の物語』 若干の基本データ


『O嬢の物語』、『ロワッシーへの帰還』 簡単な出版データ



初版
- Histoire d'O par Pauline Réage avec une préface de Jean Paulhan, Seaux, Chez Jean-Jacques Pauvert, 1954. (→初版本写真)
- Retour à Roissy ; précédé de : Une fille amoureuse par Pauline Réage, Paris, Jean-Jacques Pauvert, 1969.

現在入手可能な版
- Histoire d'O, précédé de : Le bonheur dans l'esclavage par J. Paulhan, Fayard (Pauvert) ; ISBN : 272020031X
- Histoire d'O, suivi de Retour à Roissy, LGF (Le Livre de poche : 14766) ; ISBN : 2253147664(1975年の『ロワッシーへの帰還』再版の際に付せられたマンディアルグの後書きも含む、この2作としてポヴェール社から出版されたすべてのテキストを収めた2001年12月刊のポケット新版)

日本語翻訳版 → 解説ページ 参照




Oを世に送った人たち



ドミニク・オリー Dominique Aury(1907 - 1998) ドミニク・オーリー
『O嬢の物語』、『ロワッシーへの帰還』の著者
ジャン・ポーラン Jean Paulhan(1884 - 1968)
『O嬢の物語』序文の著者
ジャン=ジャック・ポヴェール Jean-Jacques Pauvert(1926 - )
『O嬢の物語』、『ロワッシーへの帰還』の出版者




『O嬢の物語』をめぐる基本的タイムライン



1884年 12月2日、ジャン・ポーラン Jeean Paulhan、ニーム Nîme に生まれる。
1907年 9月23日、アンヌ・デクロ Anne Desclos(後に筆名ドミニク・オリー Dominique Aury)、ロシュフォール・スュル・メール Rochefort-sur-Mer に生まれる.
1941年 10月(?)オリーとポーラン初めて会う。
1943年 オリー、ガリマール社から『フランス宗教詩華選Anthologie de la poésie religieuse française』を出版。
1946年 ポーラン、ガリマール書店のもとでカイエ・ド・ラ・プレイヤード Les Cahiers de la Pléiade (発行停止中の同社のNRF誌に代わる)を編集総監督として創刊。オリー、同誌の編集事務局長に。2人の生涯にわたる協力関係(程なくして親密な関係へ発展)の始まり。
1951年 この年、オリー、ポーランへ『O嬢の物語』の原稿を順々に渡していく。
- 10月、ポーラン、ガストン・ガリマールへの手紙で『O嬢の物語』の原稿について言及。
1953年 戦中・戦後の休刊を経て、NRF誌再スタート。ポーランは マルセル・アルランMarcel Arlandとともに編集総監督に、オリーは編集事務局長に就任。
1954年 ポーラン、「奴隷状態における幸福 Le bonheur dans l'esclavage」をブリュッセルの雑誌Le Disque Vert、1-2月号で発表。
6月、『O嬢の物語 Histoire d'Oが、ポーランの「奴隷状態...」を序文として、ポリーヌ・レアージュ Pauline Réage名で Jean-Jacques Pauvertジャン=ジャック・ポヴェール社より出版。ポーリーヌ・レアージュ
1955年 1月21日、『O嬢の物語』、ドゥ・マゴー賞を受ける。
- 3月4日『O嬢の物語』、風俗紊乱で司法当局より摘発(訴追はは1959年10月に停止に。宣伝と未成年への販売禁止措置は1967年まで続く)。
1963年 4月27日、ポーラン、アカデミー・フランセーズの会員に選出。
1967年 宣伝禁止措置解除。
1968年 ポーランの健康悪化。オーリーは病床でのつきそいのかたわら「恋する娘」を執筆。
- 10月9日、ポーラン死去。
1969年 ポリーヌ・レアージュの『ロワッシーへの帰還・恋する娘 Retour à Roissy suivi de : Une fille amoureuse、J・J・ポヴェール社より刊行。ポーリーヌ・レアージュ
1975年 レジーヌ・ドゥフォルジュ Régine Deforges によるレアージュのインタヴュー『Oは私に語った O m'a dit』、J・J・ポヴェール社より刊行。
- 9月、ジュスト・ジャカン監督による同名の映画化作品封切り。
1994年 ニューヨーカー誌、8月1日号に、オリーのインタヴュー掲載。その中でオリーは初めて公に『O嬢の物語』の作者であることを認める。
1998年 4月26日-27日未明、オリー死去。
1999年 ニコル・グルニエ Nicole Grenier によるオリーのインタヴュー『天職は陰にまわること Vocation: clandestine(死後の発表を条件に1989年に収録されていた)、ガリマール社より刊行。


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