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タルマン・デ・レオ 『逸話集』
スィイ侯爵夫人

スィイ侯爵はロレーヌのブルレモン家の出であるが、シャンパーニュに居を構えていた。奥方は類まれな美女であるが、殿方のほうはこの世でも類まれなほど哀れな男の一人であった。奥方にぞっこんであった侯爵は−−結婚して間もないことであるが−−シャンパーニュの総督であった故ル・コント公の同席するところで、奥方のスカートの中に無造作に手を差し入れたりしたのだが、そんな振る舞いのとばっちりがあとでやってきた。ル・コント公と奥方が情を通じてしまったのである。

さてここに、ヌシャテルなる男が現われた。間接税の徴収で財をなしたシャプレーヌの男爵の末子で、シャンパーニュ地方のシャプレーヌその他に土地を買い、壮麗な居所を建てさせ、豪奢な生活をしていた。このヌシャテル、愚直な若者でしかも偉丈夫であったが、美しい奥方に惚れ込み、火遊びをするようになった。事はあまりに大っぴらに行われたので、スィイ侯爵の親族郎党がヌシャテルに戦いを挑むということにまでなった。勇猛とは程遠い青年だがともかくも戦った。が、この気の乗らぬ戦い方をみれば、人の目には、単に相手方の家族に従わぬということをはっきりさせるために抗っただけだということが明らかであった。この戦いはヌシャテルにさらに思うままに振る舞うきっかけを与えた。青年は奥方の元に相変わらず通いつづけ、しかもそれがあまりに堂々としていたため、夫は青年と奥方を共有することになったばかりか、青年のほうが夫よりも週のうち一晩分取り分が増えることにまでなった。このとんでもない女はしまいには夫に完全に愛想をつかし、夫が自分と寝床をともにするのをまったく厭うようになった。

最初に言ったように、なんとも可哀相な男である。そのうえ奥方にぞっこん惚れ込んでいた。しまいにはどうしていいかわからず、ヌシャテルの足元に跪き、奥方に情けをかけさせてくれるよう頼むのだが、奥方は絶対に承諾しなかった。そのうち、ロレーヌの家の者(侯爵はそこにいなかった)が武装してやってきて、ヌシャテルが侯爵夫人と寝ているところを襲った。しかしヌシャテルは、従僕をひとり引き連れ、回廊の一番奥の部屋にたてこもり、そこにあった武器を使って二人して応戦し、相手方一人を殺し、逃げおおせた。そうした事件はこの不義の男女をさらに大胆にしただけだった。二人は財産の家畜や伐採した森の木を売り飛ばしていった。そうしてついには夫人は身ごもったが、もう二年間このかた侯爵が自分と寝たことがないのを誰もが知っていたため、オランダへ行き、出産した。ヌシャテルはその地で彼女を見つけさせ、シャンパーニュへ戻した。

が、ほんんとうにひどい話はここから始まる。侯爵夫人はそのとき11歳にしかならぬ自分の娘を、ヌシャテルに嫁がせ、ヌシャテルに対し娘婿として皆の前でおおっぴらに接吻するのであった。さらにはヌシャテルが週のうち3晩は彼女と、3晩は娘と寝ること、日曜日は休みをとることなどという協定を、二人の間に結んだ。しかしながら夫人はそれでも満足せずに一晩分を自分の娘から横取りまでした。侯爵はヌシャテルがいままでより手いっぱいであることを知ると、ときどきは妻と寝させてくれと頼んだが、聞き入れられなかった。それで、二人が寝床にいるとき、妻をさがしてに来ては、一時間でよいから自分の妻と寝させてくれと二人に懇願するのであった。ある夜などはこの二人は寝付かれないといって、この哀れな男の元に行き、鞭打って楽みさえした。

ヌシャテルは結婚後一年かそこらの後、パリの包囲戦で戦死した。侯爵夫人は、娘をジュヴィニなる貴族にすぐさま再婚させたが、その条件は花婿の父親が自分と寝ることであった。が、ほどなくして、その父親では年を取りすぎていると思うようになった。そして、しまいにはその従僕どもに自分の体を与えるまでになった。侯爵夫人は今から5年ほど前、39か、40歳で亡くなった。


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